内山 節 ライブラリ

『森林ボランティア団体にいま求められている専門性とは何か』

2017.01.01 森づくりフォーラム会報161号寄稿

専門家的な領域と素人的な領域をつなぎ、一体化していくこと

 森林ボランティアにかぎらず、ボランティア団体は、専門家的な領域と素人的な領域を合わせもっている。それはけっして悪いことではなく、事業が継続されれば、ボランティア的に関わるからこそ生まれてくる専門性が蓄積されるし、他方ではたえず多くの人たちの参加を呼びかけるがゆえに必要となる素人性も内包することになる。専門家集団になれば閉鎖的になり、素人性だけに依拠すれば社会的使命が実現できない。

 ボランティア団体にとって必要なことは、専門家的な領域と素人的な領域をうまくつなぎ、一体化していくことなのである。

 このような視点から森林ボランティアの活動を振り返るなら、私たちはどこに専門家的領域を築いてきたのであろうか。そのひとつは森での作業技術であり、安全技術であった。経験のない人、少ない人とともに山に入る以上、作業技術と安全技術は一体である。さらにはセミナーを開いたりする領域でも、効果的に運営するには専門家的能力が必要になるし、機関誌やホームページの作成でも同じことがいえる。

 だが森づくりフォーラムは、これらの部分だけを強化してきたのではなかった。もうひとつ森づくりフォーラムにしかないといってもよい領域として、政策提言の役割があった。森づくりフォーラムはこの分野でも、専門家的能力の蓄積が必要だった。

 このように、森づくりフォーラムは成り行きとして、自分たちの内部に専門性をつくりだしてきたのだが、このあたりで、私たちにとっての専門性とは何かを真剣に考えてもよいときにきているのかもしれない。作業技術などの専門性なら、森林ボランティア団体はどこでも蓄積している。政策提言はこれからも深めつづけるとしても、それだけが私たちの専門性なのだろうか。

変わっていく現実のなかで

 森づくりフォーラムが生まれた頃の議論のひとつに、森林ボランティア団体だけでは日本の森は守れないという問題があった。仮にボランティア活動が想像を超えるほどに拡大したとしても、関われる森はせいぜい日本の森林の1パーセントくらいのものだろう。そうである以上、森林管理に従事する人たちを維持しなければならないし、そのためには、山村が守られていかなければならない。

 ただし、森づくりフォーラムがそういう課題に対する単なる啓蒙団体ではないのは、自分たちも森に入ることをとおして山村の人々や森林管理にたずさわる人たちとも交流し、その過程で感じとったものを基盤に置きながら、森で働く人たちや山村社会を守る活動を都市で繰り広げていくということだった。そういう役割も、森づくりフォーラムはみずからに課していた。

 ところが森で働く人たちの仕事のあり方もその担い手たちの構成も、さらには山村の方向性も、現在ではかなり変化してきている。たとえば私のいる上野村をみても、現在25人ほどいる森林組合の山で働いている人たちは、全員が都会からの移住者である。指導者として村のベテランが入ることはあるが、その後の製材やペレット生産、木工などの分野でも移住者の比率は高い。その人たちはいまの仕事に不満をもってはいない。心配があるとすれば村の将来であり、負担感のあるのはそれぞれの暮らしの確立の方である。

 たとえばパスタ類をつくろうと思っても村には決まったパスタしか売っていないとか、おいしいワインやチーズを買うにはかなり遠くまで出かけなければならないとか、そういうようなことが負担になっている。もちろん集落などの寄り合いや飲み会などにも参加している。

 それも悪くはない。しかし、やはり都会出身者という一面ももっているのである。

 また上野村の場合は、村の考え方としても、いわゆる林業の振興は考えていない。考えていることは、7割が広葉樹という森の現実とともに暮らせる村をつくるにはどうしたらよいかである。間伐した針葉樹は製材して建築材にするが、主力は山の樹種を活かしたペレットの生産だったり、菌床生産、キノコづくりだったりする。さらに地域資源を活かした循環度の高い村づくりをすすめるために、ペレット発電などもしている。

 森を活かした村づくりはすすめられているが、いわゆる林業振興ではないのである。林業が振興すれば村は活性化するなどという仮説に乗っていたのでは、現実の村は衰退するばかりである。村はもっと知恵を働かせなければならなくなっている。

 地域による違いはあるものの、山で働く人たちの構成はこれからもどんどん変わっていくだろう。独自の社会デザイン力をもつ村ともたない村との違いもますます大きくなっていくだろう。私たちはそういう現実のなかで、森で働く人を守り、村を維持する努力をしていかなければならないのである。

奥山の森林管理では、間伐の遅れを問題にするのはもうやめた方がいい

 現在各地でおこなわれている里山管理は、都市型の森林管理だといってもよいから推進していけばよいだろう。だが奥山の森林管理では、間伐の遅れを問題にするのはもうやめた方がいい。

 森林の荒廃は、目的に沿った森づくりができなくなったことをいうのであって、林業が目的ではなくなったのなら、間伐が遅れたからといって荒廃しているわけではない。林業的マニュアルで森をみるのは林業をめざすから有効なのである。

 むしろ現在不足しているのは、現実の森をどういう方向でいかしていくのかというデザイン力である。それがなければ、地域づくりと結ばれた森林管理にはならないだろう。

 これからの森づくりフォーラムに求められる専門性とは、そういうデザイン力なのではないだろうか。その必要性を各地の森林ボランティア団体に提起し、ときにはその団体と一緒になって森を活かした地域、山村づくりをすすめるためのデザインを提起していく。そういう活動がないと、森づくりフォーラムの基本方針でもある「森とともに暮らす社会」をつくることはできないだろう。

 森林ボランティア団体にいま求められている専門性とは何か。今年はそんなことも議論していければと思っている。

 


2017.01.01 森づくりフォーラム会報161号寄稿

プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。

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