未来に責任を果たせる森林政策を求めて


 ̄ ̄森林ボランティア活動をすすめる市民からの「第二次提言」

 私たち森林ボランティア活動に参加する市民は、森林にかかわる各市民ボランティア団体のメンバーの参加を得て「『森づくり政策』市民研究会」をつくり、これからの日本の森林を、誰が、どのように守り、創造していくのかについて検討と勉強を重ねてきた。その成果をもとに、本年五月に「新たな森林政策を求めてー森林ボランティア活動をすすめる市民からの提言」を、本年七月には林政審中間報告に対する「緊急提言」を提出してきた。
 これからの森林は、森林所有者や森林で働く人々をふくむ地域住民や流域市民の参加を得た、開かれた森林管理のなかで維持されていかなければならないという私たちの立場をいっそう明確にするために、ここに「第二次提言」として、「未来に責任を果たせる森林政策を求めてー森林ボランティア活動をすすめる市民からの『第二次提言』を提出、公表する。

 

提言骨子

1.これからの森林政策を創造するに当っては、私たち市民がこれまで十分に森林に貢献できなかったことをふくめて、国、自治体、森林組合、森林所有者等すべての森林にかかわってきた人々が、これまでの問題点を公表し、全国民的な開かれた議論をまきおこす必要がある。

2.森林政策は民有林、国有林といった所有権をこえて、総合的な森林政策として実施される必要があり、そのためには森林の管理は地域から積み上げられるべきである。

3.森林に関する地域の中心的機関として、私たちは市町村単位で「森林委員会」を創設することを求める。

4.流域単位の森林管理をすすめるためには、地域の「森林委員会」の協議機関として「流域森林委員会」の創設が必要であると考える。

5.森林所有者の責任を明確にするとともに、これからの森林管理に当たっては、地域住民、流域市民が積極的に森林の維持にかかわるシステムが必要である。

6.地域・流域の「国有林管理委員会」を「官民一体」で設け、地域に開かれた国有林をつくりだすとともに、「官民一体」の森林官制度をつくることによって、統一的な森林管理が可能になるように求める。

7.総合的な森林政策を推し進めるために、林野庁、国土庁、環境庁の関連部署を統一し、「森林・水源庁」の創設を求める。

8.新たな森林保全財源として、私たちは市民の側から「森林・水源税」の創設を訴える用意がある。



 

新たな森林政策を求めて
森林ボランティア活動をすすめる市民からの第二次提言

 
目次
1.私たちの基本的な視点
  1) なぜ「第二次提言」を提出するのか・1
2) 森林の価値の正当な評価を・2
3) 森林と地域の関係・4
4) 森林管理と市民参加・6
 
2.現在の森林問題をめぐる動きへの率直な疑問
 

5) なぜ国有林問題だけが単独で論じられるのか?・9
6) 地域の森林管理の主体は誰なのか?・12

   
3.これからの森林管理についてー私たちの提案
 

7) 「官・民一体」と、行政・全流域市民の連携・14
8) 所有森林の計画公示制度・15
9) 管理放棄森林の第三者への管理権委譲・16
10) 「森林地図」の製作と市民参加システム・16
11) 流域の合意形成の前に広範な参加を・17
12) 農山村の森林と「都市内里山」との一体的視点・18
13) 森林委員会構想と地域森林管理・18
14) 「官・民一体」の森林官制度の創設・20
15) 地域・流域の国有林管理委員会の創設・20
16) 治山計画、保安林制度と「森林委員会」・21
17) 森林組合の改革と「林業担い手」の育成・21
18) 流域森林委員会の創設・22
19) 林道規格の撤廃と地域・流域における自主的な決定・22
20) 森林オンブズマン制度について・23
21) 森林に対する補助金のあり方について・23
22) 山村の「生活上の条件不利」の早急な解決・24
23) 相続税の改善について・25
24) 森林・水源庁の創設を・25
25) これからの森林財源について・26

 


 [政策提言表紙]   [第一次提言]  [第三次提言]


 

1.私たちの基本的な視点

 

1)なぜ「第二次提言」を提出するのか
 私たちは長い間森林問題を、森林所有者の課題として放置してきた。全市民の課題として考えようとする動きは鈍く、日本の森林政策を議論し、チェックしていく能力を持つこともなかった。それは結果として森林所有者に過重な責任を負わせたばかりでなく、森林荒廃の発生や、過速度的な山村過疎化の原因にもなった。市民の動きの鈍さが、森林所有者や山村の人々を孤立させ、このような矛盾を生み出した原因の一つになってきたのである。
 私たちは、これまでの対応の弱さへの反省を込めて、未来に受け継がせなければならない森林のあり方について発言していこうと思う。本「第二次提言」は、これからの森づくりにかかわっていこうとする市民の模索のなかから生まれたものである。
 幸い私たちは、以前から、森林ボランティアとして、さまざまなかたちで、市民として森づくりにかかわってきた。その経験をふまえて、本年より「『森づくり政策』市民研究会」を発足させ、全国の森林ボランティアの仲間たちと議論を重ねてきた。自分たちは単なる行政の批判者であってはならないと考えている。森づくりに参加し、森の中で汗を流し、山村をはじめとする森とともに暮らす地域の住民と手を結び、都市の住民に森林と人間の関係を訴えながら、森林を創造する市民でありつづけること、そしてこのような創造的な活動をとおして、日本の森林政策や行政の動きをチェックし、議論し、批判し、提案していく市民でなければならないと考えている。
 このような立場にたって、本年五月に私たちは「第一次提言」として「新たな森林政策を求めてー森林ボランティア活動をすすめる市民からの提言」を提出した。しかしその後の森林政策をめぐる議論をみる、依然として国有林をめぐる財政問題がその中心であり、一番重要な課題である日本の森林をこれからどう守り、育てていくのかについての議論が尽くされないままに推移している。森づくりへの国民参加、市民参加の道筋もみえてこない。
 私たちは、森林問題を、再び、国有林をもふくむ森林所有者と行政だけの課題にしてしまわないために、つまり、森林問題は全市民の課題だということを明確にするために、ここに「第二次提言」として「未来に責任を果たせる森林政策を求めてー森林ボランティア活動をすすめる市民からの『第二次提言』」を提出する。したがって本提言は森林政策にかかわる人々に提出されるとともに、私たち自身をふくむすべての市民への提言でもあることを、はじめに明記しておく。

2)森林の価値の正当な評価を

 森林の価値は、次の三点に集約することができる。(1)人間を含むすべての生物にとって欠かすことのできない自然環境。(2)環境に負担をかけない人間の暮らしを実現する上で重要な木材資源の利用を可能にする基盤。(3)人間の暮らしに不可欠な文化的装置。
 このように考えたとき、林業という木材生産活動をふくめて、森林の創造と維持は、すべての人間にとって欠かすことのできない公共的な仕事だということがわかってくる。ところがこれまでの考え方では、林業は私的な経済活動であり、育林によって森林環境を維持する部分だけが森林の公益的な機能であるという立場がとられてきた。それは公益的機能にふさわしい国民負担という議論を生み、公益的機能を量的に把握しようとする虚しい努力をもつくりだした。
 だが、はたして、林業ー木材生産を私的な経済活動だと言い切ってよいのだろうか。私たちはそうは思わない。林業はその育林活動をとおして、かけがえのない自然環境や文化的装置としての森林を創造しているばかりでなく、、木材生産自体もまた、環境に負担をかけない循環型社会をつくるうえで、欠かすことのできない公共的な仕事を担っているのではないのだろうか。環境に配慮し、持続可能な経済と人々の生活を作り出すことが、これからの人類の大きな課題である以上、再生可能な資源の創出は全人類的な目標であり、そうである以上木材資源の創出は社会的期待を担っているといってもよい。
 もちろん森林には林業に適さないものも数多く存在するし、天然林の保全を重視した森林管理の推進や、林業を目的とした森林においても、自然環境の維持や生物種の多様性、文化的装置としての森林の創造と調和した林業技術を確立していくことが必要であろう。戦後の行きすぎた拡大造林などがくり返されてよいはずはない。 
 そのようなことをふまえたうえで、私たちは、森林は天然のままが一番よく、林業は人間が暮らしていくうえでの必要悪であるとでもいうような今日の風潮を打破していく必要があるだろう。しかもそのような風潮の存在することが、森林所有者の林業意欲をそぐ結果にもなっていることを考えるならば、林業に対する正当な評価を市民のなかに浸透させていくことは、私たち森林ボランティア活動に参加している市民の責任でもある。
 ところで、森林の価値のひとつとして記した文化的装置としての森林とは、何を意味しているのであろうか。私たちはそれを、人間にとって必要な暮らしの文化の源泉という視点からとらえている。すなわちそれは、第一に木に触れ、生活のなかに木を取り入れることによって創造される文化のことであり、第二に森林があることによって実現されている森と川と流域と海の文化のことであり、第三に森林に触れることによって獲得される文化のことである。さらに第四に森林があることによって確立されている山村を中心にする地域の文化があり、第五に、森林を活用するために生まれた技術の文化、第六に、森林のなかで働き、森林にかかわることによって自らの生活を文化的に再確立しようとする、森林ボランティアをはじめとする都市住民の文化もある。これからの時代を考えるならば、第七に、森林を軸にして拡がっていく国際交流の文化も、大きな領域を形成していくことになるだろう。私たちは、このような生活、労働、精神、交流を文化的なものとして創出していくうえでの、欠かすことのできない装置として森林を見ている。
 すなわち私たちは今日、欠かすことのできない環境として、同時に環境に負担をかけない持続可能な資源として、さらに貴重な文化的装置として森林をとらえているのである。

3)森林と地域の関係
 以上のような考え方にたって、良好な森林を未来に残していこうとするとき、私たちは次のような森林管理の思想が定着しなければならないと考える。それは、全市民に広く支持されながらも、具体的な森林管理のあり方は、それぞれの地域・流域の自然的な、歴史的・文化的な特徴を生かした、自律的な地域・流域森林管理として実行されていかなければならないということである。
 強引な拡大造林や画一的な林道規格、補助事業、営林指導といった地域・流域の特徴を軽視した森林管理の施策は、森林を弱体化させたばかりでなく、農山村地域の人々と森林の結びつきをも後退させ、また、下流域の都市住民がその地域にふさわしいかたちで森づくりにかかわっていく可能性をも閉じさせた。こうしたことは、今日では次第に明らかになってきている。このような現実をみるなら、今日必要なことは、「森林管理の地方分権」を徹底して押しすすめる視点から、国、都道府県、市町村の役割を調整しなおすことであり、「森林管理の地方分権」の主体となることのできる森林組合の育成や新しい地域森林管理システムを創造することであるように思われる。とともにそれは私たちにも課題として投げかけられていることであり、すなわち都市住民の側もまた、日本全体の森林を守るための農山村から都市を含む全市民的な合意、支援の確立と、都道府県単位での市民の活動のあり方、さらに市町村単位や流域の単位での、地域と結びついた活動を、それぞれ創出していかなければならないことを示している。
 それぞれの地域・流域で森林と人間の活動的な関係を創出していくこと、そのために都道府県が何をし、国が何をして行くべきかを考えるのが、これからの森林管理の発想でなければならず、それに対応した市民の活動も求められているのである。
 森林には、絶対的に正しい管理の手法は存在しない。人間が森林に関するすべてのことを認識できない以上、「新しい発見」は次々に生まれてくるし、その時代のなかでは正しいと思われたことが、社会変化によって否定されてしまうこともしばしばある。そうである以上森林管理に、正しい認識、正しい方法、正しい施業を確立すればよいといった楽観的思想をもちこむことはできないのである。とすればどうすればよいのか。それは、具体的な森林とかかわっている人々の蓄積と模索のなかに、森林と人間の関係の「真理」があるという立場に私たちが立つことである。そして、だからこそ、森林管理の主体は地域・流域でなければならず、私たち市民もまた具体的な森林との結びつきを深めていかなければならないのである。

4)森林管理と市民参加
 明治以降の日本は、強い行政を確立することによって、近代国家の道をひた走ってきた。それは近代産業の育成や社会資本の一定の整備をすすめるうえでは効率的であったが、国家行政主導型の社会をつくり、国家総動員型戦時体制を形成するなど、いくつもの問題点をも、歴史上では顕在化させてきた。
 今日の社会をみても、強い国家行政の力が存在することは、地方自治体などの国家依存体質、自主的企画能力の低下を招き、市民のなかにも重要な問題は国家にまかせておけばよいといった、すなわち自分たちで考え、行動し、社会の創造に参加していく精神の衰退を生んだことは否定できない。
 森林問題をみるなら、この傾向はいっそう顕著であった。市町村のなかには森林関係部署さえもっていない自治体が多数あり、自分たちの地域の森林でありながら、自主的な地域森林計画をもっている自治体はほとんどない。地域の森を守らなければならない森林組合も、国や都道府県からの補助金でやっと息をしているだけのものが、数多く存在する。少し言い過ぎた表現かもしれないが、森林問題では、国の行政の下請機関と化した自治体や森林組合も多数存在するのである。そればかりか個々の森林所有者のなかにも、自分の所有森林の将来像を描ききれない所有者が生まれ、補助金がなければ何も動けないような体質までが発生するようになってしまった。
 各流域の都市住民もまた同じである。今日では誰もが森林の重要性を語り、その維持を期待しているのに、自分たちの参加によってそれを実現させようとする動きはやっと今日はじまったばかりであり、批判だけしてあとは行政に下駄をあずけるという体質を抜けきっていない。
 あえて述べるならば、強い国家行政の存在が、森林問題では、地域の自主的企画、行動力や、人間の創造への参加意欲を空洞化させてしまったのである。
 これからの森林を考えるうえで、この問題は解決しなければならない課題である。私たちはすでに「第一次提言」において、森林管理の思い切った地方分権を提案したが、それは単なる地方への権限移譲ではなく、地域・流域の森林管理を自主的におこないうるシステムの創造と、地域・流域の森林を所有者と協力してつくりだそうとする創造的な参加型市民の拡大を軸にして、そのとき都道府県や国は何をすべきなのかを再構成していく変革と結びついていなければならないのである。
 地域・流域と森林の関係はつくり変えられなければならない。都道府県や国の行政のあり方も、地域の自主的な能力を高め、それを支援し、調整する方向で再構成されなければならない。そして森林所有者も、所有者の役割と責務を再創造しなければならない。そして全ての市民もまた、新しい社会的市民とは何かを検討し、参加する市民へと自らを改革していかなければならない。
 地方分権の基礎には地方自治がある。地方自治の基礎には、徹底した情報の開示と住民自治がある。そして自治的な社会の基礎には、参加する市民の活動がある。このような社会がつくられないかぎり、森林管理における地方分権は確立されないのである。
 森林は、すべての人間たちと生物の共有財産である。そして、そうであるとするなら、その共有の部分を守るにふさわしい市民、住民の参加が、森林の維持管理には必要なのである。

   

2.現在の森林問題をめぐる動きへの率直な疑問

  5)なぜ国有林問題だけが単独で論じられるのか?
 以上のような問題意識をもちながら、最近の森林問題をめぐる議論をみるとき、いくつもの率直な疑問が生じてくる。
 (イ) なぜ国有林の財政問題ばかりが先行するのか?
 その第一の疑問は、これからの森林全体の管理のあり方を議論する前に、国有林の財政赤字ばかりが議論されていることにある。国有林、民有林の境界をこえて、森林を育て、守っていくには何が改革されなければならないかが定まらないままに、国有林の財政赤字解消策だけを決定するのは、国民に対する責任ある態度といえるのだろうか。
 (ロ) なぜ財政当局の責任を明確にしないのか?
 「第一次提言」でも述べたように、国民は国有林の財政赤字を批判しているのではなく、独立採算制のもとで十分な森林管理ができなかったことを批判しているのである。国有林が赤字になったとき、一般会計からの予算を導入していれば、今日のような累積赤字は生じていなかったのであり、森林についての総合的な問題を理解せず、財政投融資資金の導入によって帳簿上のつじつま合わせをおこなった財政当局こそが、今日の国有林累積赤字の責任を負うべきなのではないか。
 (ハ) なぜ三・三兆円の一般会計処理なのか?
 平成九年度の累積赤字額三・八兆円のうち、三・三兆円を一般会計で処理し、五千億円を国有林の自助努力によって返済するという案が今日伝えられているが、これも不思議な論理である。国有林の森林管理が、林業収入によってまかなえなくなっているのに、このような計画を実行しようとすれば、五千億円の返済のためには、民間への林地売却などに頼らざるをえず、それは国民の期待に逆行するばかりか、新たな累積赤字の火種を残すことになる。率直に述べて、なぜ三・八兆円でなく三・三兆円なのかは、私たちにはわからない。
 (ニ) なぜ国有林は五千人体制でよいのか?
 現在の人員でも、国有林は十分な森林管理が行われているとはいえない。なぜ五千人で十分な国有林管理ができるのか、その時どのような管理がなされるのかが説明されないままに、人員削減だけが先行していってよいのか。これからの国有林は管理だけを行うとされているが、事業を引き受ける民間林業労働者がいるのかという問題を棚上げにしたとしても、(1)この人員で、たとえ管理だけでも十分にできるのか、そのときの管理とはどういう意味内容であるのかを説明してほしい。(2)森林に施業と切り離された管理があるのか、という疑問を私たちはもたざるを得ない。
 (ホ) なぜこれまでの森林管理の問題点をすべての国民に開示し、国民に議論を呼びかけようとしないのか?
 すでに国有林事業の多くが民間に発注され、民間への実質的な事業委託は進んできたのだが、その結果はどうだったのか。むしろ健全な森林の育成にとってはマイナスになる施業が各地で横行したのではなかったか。今日の事態の遠因をつくったかつての過伐の原因はどこにあったのか。なぜ財投資金が導入されたのか。実にさまざまなことが、国民にはその実態が開示されていないのである。それは、本来ならその役割を担うべき「林業白書」が、林野庁PR誌化していることにも問題があるが、さまざまな問題点の原因、事態が開示されないかぎり、国民もまた赤字、国営の非効率といったマスコミの論調に流されざるを得ない。もしも今回の国有林改革が、省庁間の合意、取引のなかのみでおこなわれるなら、これからも国民の協力、支援を受けられないままに森林管理は推移することになるだろう。
 私たちは、森林政策に関係していた人々が、すべての情報を開示し、各自治体関係者や森林組合関係者、国民の率直な議論を呼びかけることが必要であると考える。労組までが「使用者」や政府との交渉、取り引きだけで事足りるとしている現状のままでは、国民の森林問題への誤解を解くことも、森林管理への国民参加の気運を高めることもできないであろう。
 (ヘ) よりよい社会をつくるための「行政改革」ではないのか?
 森林に関する行政の役割を改革するなら、(1)未来に責任の果たせる森林管理とは何かを考察し、(2)そのためにはどのようなシステムをつくりだす必要があるのかを考え、(3)そのとき国、都道府県、市町村、森林組合等の関係組織、森林所有者、市民の果たすべき役割を再構成し、(4)十分な森林管理が実現できる制度、人員、財源のあり方を検討するという順序で、それは考察されなければならない。そして、それこそが国民の求めている、森林に関する「行政改革」であり、未来の森林に対して責任を果たせないような改革を国民は望んでいない。行政の簡素化や省庁再編が第一の課題ではなく、よりよい森林管理を実現するために、改革すべきものは改革するという姿勢が堅持される必要があるだろう。

6)地域の森林管理の主体は誰なのか?
 さらに私たちは、次のような疑問もいだかざるをえない。
 (ト) なぜ公社造林の赤字問題が無視されているのか?
 「第一次提言」で述べたように、私たちは国有林の累積赤字だけではなく、日本の森林の累積赤字を全体として処理するように提案してきた。今日すでに実質的な公社造林の累積赤字は膨大なものになっており、この累積赤字もまた解消されないかぎり、日本の森林が借金という重荷を背負っていることに、変わりはないはずである。
 (チ) 農山村政策と森林政策の一体的考察はなぜ遅れているのか?
 現在の「行政改革」の動きをみるなら、農林水産省から林野庁を分離する案までが検討されているようであるが、このような方法によって健全な森林の育成は実現できるのであろうか。農山村地域では、森林所有者は、農林家として農業と林業との一体的経営をすすめているのが多くの現実であり、むしろ農林一体、地域によっては農林水産一体的な魅力のある暮らしを実現するために、総合的な政策を推進できる行政を私たちは必要としている。
 (リ) なぜ都市の暮らしと森林との関係をより重視した議論がすすまないのか?
 私たちは、これからの都市の暮らしにとって森林はどのような役割を担うのか。森林に対してどのようにかかわることが、都市の暮らしをも豊かにするのかについて、より深い議論をたたかわせ、そのような議論の必要性を国民に訴えていく時期にきていると考えている。もとよりそれは、森林ボランティア活動に参加する市民としての、私たち自身に投げかけられている課題でもあるが、都市の住民を「財源」とみるだけでは、これからの森林管理はうまくいかないばかりか、その「財源」自体も、かつての水源税の二の舞になりかねない。農山村地域に暮らす住民と各流域の都市の住民は、これからの森林管理に欠かせないふたつの主体であり、現実がそうでないなら、農山村住民と都市住民を統一した流域の主体、すなわち流域市民として育成するにはどうすればよいのかが、真剣に検討されなければならないはずである。
   

3. これからの森林管理についてー私たちからの提案

  7)「官・民一体」と、行政・全流域市民の連携
 森林管理についての以上のような疑問は、一面では、私たち、森林ボランティア活動に参加する市民自身が、このような問題点を克服しうる構想力と行動力をもてるかどうかという課題でもある。そのような視点に立って、「『森づくり政策』市民研究会」は、これまで各地の森林ボランティアや市民の意見を聞き、討論を重ねてきた。この議論をとおして最初に明らかになってきたことは、これからの森林管理として「官・民一体」をめざすといわれながら、その中味は、官とは国家行政のことであり、民は森林所有者や関連業者、地域自治体や森林組合でしかないということであった。農山村住民や都市の住民、すなわち流域市民は、この構造のなかでは幽霊のような存在にされている。しかもここでの「民」の扱いは、明治時代に官(国)有林以外をすべて民有林とした発想が踏襲されている。
 「官・民一体」という発想自体が、すでに時代錯誤なのではないだろうか。これからの森林管理は、「行政・全流域市民」の協力体制のなかで実現すべきことなのではないだろうか。そしてその上で、国家行政、都道府県行政、市町村行政の役割を再構成し、森林を所有する地域住民や森で働く地域住民、あるいは関連産業で働く地域住民、森林の近くで暮らす地域住民などの森林へのかかわり方、協力関係のつくり方を検討し、あわせて流域市民の役割を定めていくことが必要であるように思われる。

8)所有森林の計画公示制度
 これからの森林管理を全国民の参加を得て実現させていく上では、まず第一に、国有林をふくめて、全森林所有者が、所有森林の将来計画を公示し、すべての人々に公開するところからはじめられるべきではないだろうか。それは、あまり厳密なものではなく、a.高年齢の杉の人工林、b.短期伐採型杉の人工林、c.高年齢型天然林、d.里山型天然林、e.針広混交林、f.・・・・・・、といったゆるやかなものでよいし、計画の変更も新しく公示し直せばいつでも可能であり、公示によって施業的な義務を課する必要もない。
 重要な点は、この公示を市町村自治体や森林組合が代行しておこなうことを厳しく禁じ、所有者自身による公示を義務づけることであり、その結果を受けて市町村自治体は、市町村内森林の将来計画図を作製し、誰もが、いつでも閲覧できるようにすることである。そのことによって(1)森林所有者は自分の森林の将来に責任を負うという、ゆるやかな精神的土台が形成され、(2)将来計画を公示できない森林を管理放棄森林とみなし、所有者に代わって森林管理をしなければならない森林が確定され、(3)地域全体の森林計画をみながら、森林環境の維持や林業振興のためには、どこをどうすればよいのかも明確になる。
 とともに、この提案には次のような意味もふくまれている。現在の日本においては、森林に対する所有権者の力が強すぎ、森林所有はすべての人々の共有財産を信託管理していることでもあるという面が、制度的にあまりにも弱すぎる。私たちは、本当なら、森林の所有と利用は分離されるべきだと考えるが、少なくとも森林所有者が所有森林の将来計画を明らかにし、公開することは、早急に実現されるべきであろう。

9)管理放棄森林の第三者への管理権委譲
 管理を放棄した不在村地主などの森林は、後述する「森林委員会」が管理権の委譲を受け、高い林業意欲を持つ地域の人々が管理する森林や、地域住民が管理するさまざまな森林、自治体が公共的な目的で管理する森林、流域市民のボランティア活動で管理する森林などへの、管理権の第三者への再移譲を可能にするシステム、法整備をするように私たちは提案する。

10)「森林地図」の製作と市民参加システム
 森林はさまざまな公益的機能を果たしていると言われながら、個々の森林が流域や地域社会のなかでどのような役割をはたしているのかは、調査もおこなわれていないものが大多数である。そればかりか、詳細な降雨量や降雨による沢や河川の流量の増減さえ、大雑把にしか把握されておらず、個々の森林と河川流量の変化を詳細に明らかにする資料は存在しない。また森林のなかにどのような動植物が生息しているのかさえ明確にされておらず、それらのことが、個々の森林の価値を不明確なものにしていることは否定できない。
 「第一次提言」でも述べたように、私たちは、森林の価値を明らかにする詳細な調査と、それにもとづく「森林地図」を作製すべきだと考える。すなわち森林には、「所有地図」、「将来計画地図」、「森林地図」という三枚の地図が必要であり、それらが整備され、閲覧できる体制が整ったとき、それをもとにして、これからの森林のあり方、森林への地域住民、流域市民のかかわり方などを、資料をともに議論する土台がつくられるのではないだろうか。
 さらに「森林地図」の作製には、もう一つの役割がある。「森林地図」の作製にあたっては、まず国が全国統一的な調査方法を策定し、それにしたがって都道府県が調査ボランティアを募集し、講習をおこなったのちに調査ボランティアの手で実施するかたちを私たちは想定しているが、このことによって、より広範な市民を森林のなかに参加させていくことができるし、各地域の教育機関や青少年団体、地域、企業、経済団体なども、一定の調査を引き受けることができる。また調査結果が「森林地図」となり、公的資料として閲覧可能なかたちでストックされ、これからの森林計画の策定などのときにも利用されるのであれば、調査ボランティアの参加意欲も高まる。

11)流域の合意形成の前に広範な参加を
 これからの森林管理にあたっては、流域市民の参加が必要であり、流域の森林を流域全体で守る合意形成が必要であることはいうまでもない。そのとき、忘れてならないことは、合意形成とは、森林管理へのさまざまな立場の人々の広範な参加があってはじめて実現できるということである。したがって現在必要なことは、森林管理にさまざまな人々が参加していく方法をつくることであり、その視点を欠いた合意形成論は、流域社会の力強い合意にはならない。 私たちはこのような視点からも、「森林地図」の製作への調査ボランティアの大量動員をはかるべきだと考える。


12)農山村の森林と「都市内里山」との一体的視点
 森林管理への市民参加を促進する上で重要な点は、身近な森林と地域住民としての市民との関係を強めることであろう。ところが今日では、都市内森林は、公的なものであればあるほど公園化され、行政が市民に提供するものになってしまっている。また都市内公園では、木が育っていても林業に利用されることもなく、単なる公園でしかないために、市民が森林をアメニティーとしてのみとらえる傾向を増長する結果を生んでしまっている。
 ヨーロッパの都市森林公園は、公園の機能を最優先した「林業地」としてつくられていることが多く、私たちはまず市民の目にみえる都市内森林から、アメニティーとしての森林と林業的利用地としての森林の総合化をはかるべきであり、その森林管理への市民参加を促進すべきであると考える。このような森林を「都市内里山」として位置づけ、都市内里山から農山村の里山、奥山へと広がる森林全体と流域市民、地域住民の関係を、再確立していく必要があると考える。

13)森林委員会構想と地域森林管理
 地域が主体となって地域の森林計画をつくり、各森林所有者間の調整をし、管理放棄森林の管理をすすめる、さらにこの過程に地域住民や流域市民の参加を求める、そのような森林と人間の関係全体を司る機関は今日存在しない。確かにそのような役割の一部、ときに大部分を司っている森林組合や地域自治体も存在するが、日本全体をみるならそれはむしろ例外であるといったほうがよい。
 森林管理はまずその地域が主体になるべきであるという立場に立つなら、農山村、都市を問わず、その地域に存在する森林と人間の関係を総合的に把握し、計画し、調整するとともに、森林資源の有効な活用をすすめる新しい機関として、私たちは市町村単位で「森林委員会」を創設することを求める。
 「森林委員会」を私たちは現在の教育委員会のようなものとして想定しているが、具体的には教育委員会よりも市町村自治体のなかに内部化されたものでも、逆により独立性の強いものでもよい。
 「森林委員会」は次のような役割を担う必要があるだろう。(1)前記した森林の「所有地図」、「計画公示地図」、「森林地図」の製作と、一元的管理、その閲覧体制の確立。(2)地域の森林調査をすすめ、調査ボランティアを導入する窓口であり、指示機関としての役割。(3)各所有者が公示した将来計画に沿って森林管理をすすめているかどうかをチェックし、必要に応じて計画変更の勧告、第三者による施業代行の承認を得るための活動。(4)各所有者の計画と保安林との調整。(5)不在村地主などの管理放棄森林の管理代行とその森林の整備・施業の第三者への依頼。(6)地域全体の森林整備計画をつくり、所有者自身によって整備をすすめる森林、森林組合、第三セクター、民間事業者などの手で整備、施業をする森林、地域住民のボランティア活動によって整備する森林(新たな学校林の創設、青年会、女性会、老人会、商工会、観光協会などが担当する森林の創設なども考えられる)、流域市民のボランティア活動によって整備する森林といった「主体別整備計画」を策定する。(7)森林ボランティアの地域への受入機関としての役割。(8)地域の保安林計画や後述するように治山計画を作製し、都道府県、国との調整をおこなう。(9)森林に関する各種補助金の申請、受け入れ機関としての役割、などを果たすものとして、「森林委員会」は考えられる必要がある。

14)「官・民一体」の森林官制度の創設
 現在、各営林署には森林官が配置されているが、一定面積の森林状態を把握し、その森林計画を作製しながら、各森林所有者間や森林に関係する諸団体間の調整をおこなう新しい森林官制度は、国有林、民有林をとわず必要であるように思われる。もちろん「森林委員会」のもとにつくられる民有林の森林官は、それほど大量に必要なわけではなく、地域によっては一市町村一人づつでも構わないであろうが、地域に密着した森林官が国有林、民有林を問わずに存在し、その双方の森林官が地域の森林計画を話し合うことによって、はじめて「官・民一体」の森林整備の土台ができると私たちは考える。なおそのとき、現在の都道府県の林業改良指導員の一部を、この新しい森林官制度に組み込むことも可能ではないだろうか。

15)地域・流域の国有林管理委員会の創設
 国有林が真に、地域、流域の人々や国民に開かれた国有林に変わるためには、今日のように営林署が国有林を管理するのではなく、国有という形態を維持したうえで、地域の「森林委員会」、自治体、流域の諸団体を入れた、地域・流域の「国有林管理委員会」をつくり、その地域、流域にふさわしい国有林の森林計画をつくり、管理していくことが必要なのではないだろうか。またそのことによって、民有林の計画、調整をすすめる「森林委員会」と「国有林管理委員会」が協力し、真に「官・民一体」の森林管理が実現するのである。

16))治山計画、保安林制度と「森林委員会」
 地域・流域が主体となった森林整備をすすめるのであれば、保安林の指定、地域の治山計画の策定は、まず「森林委員会」がおこなうべきであり、都道府県は国の基準に基づいてそのガイドラインを示し、国はその調整をおこなって実施するかたちに変更することが望ましいと考える。

17)森林組合の改革と「林業担い手」の育成
 今日の森林組合のなかには、あまりにもその行動力が脆弱なものも数多く見受けられる。それは現在の森林組合の活動範囲が地域の実情に適していなかったり、森林とかかわる人々が多数存在するにもかかわらず、森林所有者の団体としての性格を脱皮できないでいることに、その原因があるように思われる。
 したがって、森林組合法、協同組合法を改正し、その方が適している地域では、農林一体の協同組合や、農林漁業一体の協同組合、あるいは山村総合協同組合なども創設できるように改革することを私たちは求める。とともに森林組合の組合員を森林所有者と限定せず、一定の組合費(少額でよい)を納める森林所有者以外の地域、流域の人々、たとえば森林で働く人々、森林を教育のなかで活用しようとする学校関係者、森林を舞台にして活動する文化団体や森林ボランティアの人々も参加できるように改革するのが好ましい。
 また前述したように補助金にかかわる業務は「森林委員会」に移し、森林組合は地域の森林を育て、守り、また林業振興と結びついた各種活動をおこなう組織として活性化させることを私たちは提案する。
 もちろんその活動を活性化させるためには、森林組合や「第三セクター」のもとで働く人々が森林にかかわる総合的な仕事、すなわち地域の森林の将来デザインやそれを実現するにふさわしい技術の創造などをふくめて行えるようにするとともに、その待遇を根本的に改革する必要がある。その場合も必ずしも通年雇用にこだわらず、季節雇用や臨時雇用であっても、その雇用形態のままで、待遇を改善する森林財源の確立のために、市民もまた一定の役割を担うべきであろう。

18)流域森林委員会の創設
 「第一次提言」で述べたように、以上のような改革をおこなったうえで、流域の「森林委員会」や「国有林管理委員会」、地域自治体や森林組合等、さらに森林ボランティアをふくめた流域市民が集まって、流域全体の森林計画を調整、策定し、流域の最低限の森林整備のあり方(「フォレスト・ミニマム」、「第一次提言」参照)を各森林所有・利用者に提示していく、「流域森林委員会」を創設していくべきであると考える。

19)林道規格の撤廃と地域・流域における自主的な決定
 今日の林道のなかには、多目的林道としてつくられ、また規格も地域の実情を必ずしも反映したものになっていない。したがって全国一律的な林道規格は撤廃し、地域の実情にあった林道整備計画を「森林委員会」が策定し、「流域森林委員会」で総合的に調整したうえで、都道府県、国と再調整するかたちに改めるべきである。またそのとき、林道は森林管理道路であることを明確にし、多目的林道は山村振興道路として、関係各省庁の協力のうえで開設することを求める。そうであれば、林道上での事故は本人責任であることを明確にし、通行車輌に対して、補助金を用いて開設したものについては有料の通行許可証を発行するのも一つの方法である。

20)森林オンブズマン制度について
 森林における施業が計画どおりにおこなわれたかどうかをチェックする「森林オンブズマン制度」の必要性については「第一次提言」で述べたので、ここでは繰り返さない。


21)森林に対する補助金のあり方について
 森林に対する補助金は、「産業補助金」を全廃し、「環境維持のための補助金」に一本化することが好ましい。またこの補助金は、活動をしたものに対する「労働補助金」とすることが重要である。そのとき必要なのは、(1)森林環境維持のための調査補助金、(2)森林環境維持のための基盤整備補助金(林道、治山など)、(3)森林環境維持のための育林補助金(植栽、下刈り、間伐など)、(4)森林環境維持のための資源有効利用に対する補助金、(5)森林環境維持のための教育・文化事業補助金、などであり、その窓口としては新設する「森林委員会」を私たちは想定している。このような環境・労働補助金であれば、森林組合等の活動も今日のような苦悩を背負わないですむばかりか、森林ボランティアをはじめとする流域市民の活動に対しても、それが効果的な役割を果たすならば、補助金が受けられる道も開かれる。

22)山村の「生活上の条件不利」の早急な解決
 適切な森林管理が長期持続的に実現するには、山村での人間の安心して暮らせるようにする必要があることはいうまでもない。そのために私たちはまず、生活上の条件不利を次の三点において取り除くことを求める。
 (1) 山村においては、その子弟の進学・教育に都市以上の資金が必要であることが多く、それが村で暮らしたくとも暮らせない現実をつくりだしている。教育上の条件不利地域を設定し、その地域内の子弟が高校、大学、短大、専門学校で教育を受けるときには、月額八万円程度の「山村奨学金」が受けられるようにし、三十歳代くらいまでに帰村した者には、その返済を免除する制度を設けることはできないのであろうか。
 (2) 今日では日常の病気は村内の病院などで治療を受けることが可能になったが、長期入院を必要とする病気にかかったときは、否応なく地方都市等の病院に入院せざるをえず、ホテルに泊まって介護をするなど介護者の負担は膨大なものになる。医療上の条件不利地域を設定し、その地域内の人々が通えない場所での介護をしなければならなくなったときには、介護手当てが支給される制度をつくることはできないのであろうか。
 (3) 今日では、農業、林業といった山村的な働き方と暮らしをすればするほど、国民年金以上の年金が受けられず、それが若い人たちの老後不安となって、農林業を放棄し、山村から離れる大きな原因になっている。一定の公費助成のもとで、森林や自然を守り、流域の森林や自然を維持するために働いている人々に対する「環境維持の従事者年金制度」のようなものはつくれないのであろうか。
 以上三点は、山村に暮らす人々の「生活上の条件不利」であり、それらが解決するなら、山村の自立的な活力の回復は可能である。

23)相続税の改善について
 今日の相続税のあり方が、日本の森林荒廃の要因のひとつになっているばかりか、地域のリーダー的な林業家の林業基盤を空洞化させることによって、林業の衰退を促進する原因にもなっていることは言うまでもない。したがって、立木・土地を含む森林の評価に当たっては、森林としての存続を前提に「私的財産」としての森林から「公共財」としての森林分を差し引いた額で評価できるように計算方法を改めるとともに、立木の相続税の支払いは、相続回数に関係なくその森林を伐採した時点で一回支払えばよいというかたちに改正すべきである。

24)森林・水源庁の創設を
 「第一次提言」で述べたように、私たちは、地域住民や流域市民を主体とする力強い森林管理をすすめていくためには、林野庁、国土庁、環境庁の森林関係部署を統合したより総合的な「森林・水源庁」の創設が必要であると考える。森林はこれからの日本の社会の基盤であり、大事な国民共有の財産である。とするなら森林行政にはもっと力を入れるべきであり、地域・流域からの森林管理を基礎にした、開かれた行政をすすめる総合庁が必要である。

25)これからの森林財源について
 同じく「第一次提言」で述べたように、以上のような、全流域市民が幅広く参加する、開かれた森林管理が実現していくならば、私たちは、森林ボランティア活動にかかわってきた市民の意見として、「森林・水源税」の創設を積極的に訴えていく用意がある。

 森林は、すべての人々と生物の共有財産である。
 その森林が、いつまでも良好な状態を保ち、かつ循環的な利用が可能になるシステムをつくることは、私たちの願いである。
 そのような思いをこめて、森林ボランティア活動に参加している市民として、「第一次提言」、「緊急提言」につづいて、ここに森林政策についての第二次提言をおこなう。

                                                                   一九九七年十一月六日

 
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