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明治以降の日本は、強い行政を確立することによって、近代国家の道をひた走ってきた。それは近代産業の育成や社会資本の一定の整備をすすめるうえでは効率的であったが、国家行政主導型の社会をつくり、国家総動員型戦時体制を形成するなど、いくつもの問題点をも、歴史上では顕在化させてきた。
今日の社会をみても、強い国家行政の力が存在することは、地方自治体などの国家依存体質、自主的企画能力の低下を招き、市民のなかにも重要な問題は国家にまかせておけばよいといった、すなわち自分たちで考え、行動し、社会の創造に参加していく精神の衰退を生んだことは否定できない。
森林問題をみるなら、この傾向はいっそう顕著であった。市町村のなかには森林関係部署さえもっていない自治体が多数あり、近年の森林法の改正により、市町村森林整備計画を策定するようになったものの、自分たちの地域の森林でありながら、実質的には自主的な地域森林計画をもっている自治体はほとんどないといえる。地域の森を守らなければならない森林組合も、国や都道府県からの補助金でやっと息をしているだけのものが、数多く存在する。少し言い過ぎた表現かもしれないが、森林問題では、名ばかりの地方分権のもとで、実質的に国の行政の下請機関と化した自治体や森林組合も多数存在するのである。そればかりか個々の森林所有者のなかにも、自分の所有森林の将来像を描ききれない所有者が生まれ、補助金がなければ何も動けないような体質までが発生するようになってしまった。
各流域の都市住民もまた同じである。今日では誰もが森林の重要性を語り、その維持を期待しているのに、自分たちの参加によってそれを実現させようとする動きはやっと今日はじまったばかりであり、批判だけしてあとは行政に下駄をあずけるという体質を抜けきっていない。
あえて述べるならば、強い国家行政の存在が、森林問題では、地域の自主的企画、行動力や、人間の創造への参加意欲を空洞化させてしまったのである。
その反省にたって、「森づくり政策市民研究会」は、これまで各地の森林ボランティアや市民の意見を聞き、討論を重ねてきた。この議論をとおして最初に明らかになってきたことは、これからの森林管理として「官・民一体」をめざすといわれながら、その中味は、官とは国家行政のことであり、民は森林所有者や関連業者、地域自治体や森林組合でしかないということであった。農山村住民や都市の住民、すなわち流域市民は、この構造のなかでは幽霊のような存在にされている。しかもここでの「民」の扱いは、明治時代に官(国)有林以外をすべて民有林とした発想が踏襲されている。
すなわち、現在までの「森林社会」は、行政、森林所有者、林業関係者という3者により構成された社会であったといってよいだろう。現在、その社会が行き詰まりを見せており、その構造の大きな「意味」的な改変を求める視点は、森林の持つ公益性、環境としての性格である。
これらの森林の価値はその直接的な受益の範囲を、行政、森林所有者、林業関係者という従来の3者だけでなく、一般市民にまで広げることを意味している。つまり、「森林社会」における「市民(主権者)」を、これまで外に置かれていた一般市民にまで拡大したものとして、改めて「森林社会」を規定しなおすことを意味していると考えるのである。従来は、林業的な森林整備の結果として公共性が担保されるという予定調和の論理により、一般市民はその結果を享受するだけの存在であったわけであるが、今後は森林自体を公共空間として位置付け、その公共空間の構築、維持のために主権者として発言する権利をもつ「市民」となることを意味しているのである。
この視点が市民参加をしていくときの重要な点であろう。おそらく、現実的には、そして具体的には、森林管理へのさまざまな立場の人々の広範な参加手法を開発していくことが必要となるであろうが、その時に、市民側にも決定権があるのかどうか、あるいはそれに近い位置付けを確保できるのかどうか、ということを常にモノサシとしていくことが必要とされる。
そういう意味では、「官・民一体」という発想自体が、すでに時代錯誤なのではないだろうか。これからの森林管理は、「行政・全流域市民」の協力体制のなかで実現すべきことなのではないだろうか。そしてその上で、国家行政、都道府県行政、市町村行政の役割を再構成し、森林を所有する地域住民や森で働く地域住民、あるいは関連産業で働く地域住民、森林の近くで暮らす地域住民などの森林へのかかわり方、協力関係のつくり方(「森林コミュニティ」のあり方)を検討し、あわせて流域市民の役割を定めていくことが必要であるように思われる。
一般的に行政からの公的支援がなされる場合には、その決定過程や実施結果についての市民参加や説明責任が問われてくる。しかしながら、現在の森林政策においては、国民参加の森づくりというフレーズはあるが、その内容は植樹行事などの象徴的な体験行事が主なものであって、募金などへの参加は声高に推進されるものの、森林政策の決定過程への市民参加という視点では満足できるものではない。
最近の森林法の改正により、森林計画の策定において、従前は策定後の計画に対して意見をいえるという仕組みが、策定前に意見をいえるというふうに改善されたが、これにしても当然の仕組みになっただけで、市民参加の手法として大きく評価されるほどのものではない。
また、森林計画への意見も審議会への報告が義務付けられているだけで、その意見に対して回答をすることにはなっているが、あくまでも判断基準は審議会の意見を考慮して決める行政にあるのである。行政計画なのだから当たり前ではあるが、そこには行政サービスの主役は市民であるという意識が希薄である。
なぜ行政施策において市民参加が必要かという点については、先述したように、森林公共サービスの直接的な受益の範囲が一般市民にまで広がっており、これからの「森林社会」は市民を主権者の一人に加えたものとしていかなければならないことから明白であるが、さらに、行政計画の持っている一般的な性格からその必要性が説明されている。
行政施策は、その執行における透明性を確保するため「行政計画」を策定し、それに基づいて行われるのが普通である。この行政計画は、その「計画目標」とそれを実現する方策としての「事業・規制」を主たる内容とするが、これらに対する市民のコントロール手法としては、法的なものと司法的なものが一般的である。しかし、法律は、計画の根拠、手続、統制手法などを定めるだけで、計画の内容そのものをコントロールすることはできない。また、行政計画は、策定されることそれ自体によって国民に大きな影響を与えることは確かだが、計画自体には具体的な処分性がないため司法審査の対象外とされており、司法審査の対象となるのは、行政がこの計画に基づいて実際に事業や規制を展開し、あるいは計画を変更した場合で、その行為に違法性がある場合に限られる。
つまり、行政計画の内容に対する市民のコントロールは、法的にも司法的にも十分には行えないのである。そのため、行政計画に対する市民のコントロールは、その策定過程への参加により直接的に関与するしかないのである。
また、行政計画はその策定の過程・内容は非常に専門的、技術的な側面を強く持っているが、森林政策においても森林・林業の専門性という特殊性から、森林に関する行政計画は一般市民が計画内容について理解しやすいといえるものではない。そのため、現状では実質的な市民参加の切り口がなく、行政による森林・林業の囲い込みが行われている状況にある。
森林関係の行政計画においては森林計画制度が代表的なものになるが、この制度は基本的な姿勢や数量計画を示すだけで、これにより具体の森林における取り扱いは見えてこない。そのため、たとえこの計画への市民参加の手法が開発されたとしても、それは市民にとっては、基本的な権利保障にすぎず、一番の関心事である目の前の具体的な森林の取り扱い方については意見が反映できないのである。つまり森林計画そのものにおいては具体の森林の取り扱いについての処分性が薄く、これへの参加手法の開発はそれがどのようなものであっても市民にとっては最初から満足のいくものとはならないのである。
このように、今後の森林政策における市民参加の手法開発としては、森林計画の決定過程への市民参加は当然必要ではあるが、それ以上に具体の森林の取り扱いについての市民参加の手法をどのように開発するかということが大きな課題である。
これからの森林を考えるうえで、この問題は解決しなければならない課題である。私たちはすでに「第1・2次提言」において、森林管理の思い切った地方分権を提案したが、それは単なる地方への権限移譲ではなく、地域・流域の森林管理を自主的におこないうるシステムの創造と、地域・流域の森林を所有者と協力してつくりだそうとする創造的な参加型市民の拡大を軸にして、そのとき市町村、都道府県や国は何をすべきなのかを再構成していく変革と結びついていなければならないのである。
地域・流域と森林の関係はつくり変えられなければならない。市町村、都道府県や国の行政のあり方も、地域の自主的な能力を高め、それを支援し、調整する方向で再構成されなければならない。そして森林所有者も、所有者の役割と責務を再創造しなければならない。そして全ての市民もまた、新しい社会的市民とは何かを検討し、参加する市民へと自らを改革していかなければならない。
地方分権の基礎には地方自治がある。地方自治の基礎には、徹底した情報の開示と住民自治がある。そして自治的な社会の基礎には、参加する市民の活動がある。このような社会がつくられないかぎり、森林管理における地方分権は確立されないのである。
森林は、すべての人間たちと生物の共有財産である。そして、そうであるとするなら、その共有の部分を守るにふさわしい市民、住民の参加が、森林の維持管理には必要なのである。
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