内山 節 ライブラリ

『変わってゆく』

 

山村の過疎化がはじまったのは1950年代の後半だった。
その頃、山村の主要産業のひとつだった炭焼きが経済的基盤を喪失している。
私の暮らす上野村でも、多くの炭焼きの人たちが村を去った。
その後は、高度成長に伴って生まれた都市への流出がつづいていくことになる。
進学や就職によって都市に出て行った若者たちのほとんどは、
村に帰ることはなかった。

こうして山村の維持、山村の自然の維持が大きな課題になっていく。

最近まで山村の維持は、山村自身の課題としてとらえられていた。
どうやって人口減少をくいとめ、山村を守っていくのか。
それは村の課題だったのである。

もちろん都市の人たちからも、山村が崩壊すれば森の手入れをする人が
確保できなくなるとか、山村地域の農地が荒廃していく、
多様な文化が失われていくという視点からの山村維持論はあったが、
それもまた都市に暮らす人間の立場として、
山村への連帯を表明していたに過ぎなかった。

しかし最近ではずいぶん雰囲気が変わってきている。

今日の若者たちが感じているのは、都市社会の行き詰まりである。
安定的な就職先が少なくなったということも、その理由のひとつだろう。
とともに、都市で暮らす人たちが幸せに生きているという気がしない
というのも、大きな理由になっている。
年をとるに従って孤立し、お金に縛られていく現実や、その結果として
不安な老後を迎える人生をみていると、都市の暮らしに明るい未来を
みることができなくなっているのである。

いまの若者たちが求めているものは、その対極にあるものだ。
それは結び会う生き方であり、多様な技をいかしながら暮らす生き方である。
さらにはお金の価値が相対的に低下するような生き方であり、
社会や環境にとって有意義だと感じられるような仕事をし、
ともに幸せを分かち合えるような生き方である。
そう考える若い人たちがいまどれほどふえているのかに、
私たちは気づかなければいけない。

そして、そういう人々にとって、
農山漁村は輝いている地域のようにみえる時代がきた。
自分たちが将来暮らす場所として、あるいは暮らせないまでも関係を
つくりたい場所として、である。

今日ではどんな農山漁村に行っても、そんな若者たちと出会うことができる。
ところが農山漁村の側が、そういう若者たちをうまく受け入れられていない
ことが多い。

そうなってしまう理由は簡単なところにあって、
これまで農山漁村に暮らしてきた人たちが考える若者の安住策と、
若者自身が求めている移住への思いが食い違っているところにある。

たとえば昔から村に住んで来た人だと、雇用先もないし農業基盤も
弱いとなると若者を受け入れる素地がこの村にはないように感じる。

だがこの村でどう生きていったらよいのかは、
若い人たちに見つけ出してもらえばよいのである。
その地域にどんな資源があり、どう工夫すればそれが
有効なものに変わるかを、若者たちに考えてもらえばいい。

新しい安住者にきてもらうためには、その人たちがその地域に
ある価値を発見し、有効なものに変えていく自由を提供すればよい。
それまでの自分たちの枠組みのなかで移住者を見つけようとするから、
若者たちとうまく関係がつくれないのである。

これからの日本の社会はさまざまな変化をみせるだろう。
都市に価値を感じた時代から、都市の行き詰まりを前提にした時代に変わる。
そういう時代のなかで少しずつ人々の生き方が変わっていく。
そういう変化のなかでこれからの農山漁村のあり方を探し出していく。
それがこれからの時代なのだろう。

昨年の暮れに上野村の私の家では毎年恒例になった餅つきが
おこなわれている。今年は97臼をついているから、かなり大変だった。
臼を3つ出して、7、80人の参加者のたちが頑張ってついてくれた。
隣の家の人たちが山から撃ったばかりの鹿を自分の家の庭で解体しはじめて、
何人もの人たちがその様子を見学に行っていた。
足1本をお土産にもらってきて、
それは焼き肉になって参加者の胃袋のなかに消えていった。

鹿を解体して食べるのははじめての経験という人がほとんどなのに、
抵抗があるどころかそういう村の暮らしに触れられたことが楽しいのである。
そしてそんな暮らしがいまでも成立していることを、
多くの人に伝えたいのである。
餅をついて正月を迎える楽しさや、ついた餅を村人たちにも届ける喜びを、
みんなに伝えたい。そう思った人々が多かったようだ。

喜びを分かち合えるところには、経済も成立しうる。
とすればどんな工夫をすればそれが経済ともつながっていくのか。
これからの地域の経済はそういう発想とともにあるのかもしれない。

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写真:石井 春花(森づくりフォーラム)
※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第273回『変ってゆく』より引用しています。
 (2014年3月発行号掲載)
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プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。

内山 節オフィシャルサイト

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