内山 節 ライブラリ

『イノベーション』

『イノベーション』

最近、イノベーションという言葉をよく耳にするようになった。日本はイノベーションを起こす力を失っているとか、それが経済の低迷の要因になっているとか、そんな感じで語られている。

イノベーションという言葉は、いまから五〇年ほど前にも大流行した歴史をもっている。日本語としては技術革新と訳されていた。一九五〇年代終盤になると、日本では当時「新鋭工場」といわれた新しい工場が、次々に稼働するようになった。戦後の混乱期に一区切りをつけ、新しい社会の歯車が回りはじめたのである。

この「新鋭工場」では主としてアメリカの最新技術が導入されたばかりでなく、その工場のなかでは日々改良と新技術の開発がすすめられていった。まさに技術革新の時代だったのである。そしてそれは急速な経済成長をももたらした。技術革新が経済を発展させることを人々は実感し、そういう雰囲気のなかで、イノベーションという言葉が流行語になった。

今日でも、イノベーションとは技術革新のことだと思っている人は多いようだ。「電気自動車の分野で日本は立ち後れている。イノベーションを起こさなければいけない」というような使われ方をするなら、それは技術革新だということになる。しかし、イノベーションは経済学者のシュンペーターによって提起された考え方である。

シュンペーターは、イノベーションを技術革新だというように狭く限定したものにはしていない。彼にとってイノベーションとは、新しい価値の創造だった。とともに、新しい価値を創造するためには、異なるものとの結合が必要だと考えていた。既存のコップの中だけにいると、新しい価値は生まれない、ということである。

半世紀ほど前に、日本でイノベーションという言葉が流行した頃から、農業の分野でもイノベーションが必要だといわれるようになった。農業も技術革新をとげていかなければいけない、という狭い意味で、である。実際この頃から、日本の農業技術は大きく変わっていく。耕耘機からはじまってトラクター、コンバイン、田植機と農業の機械化がすすめられた。同時に化学肥料や農薬が多用される農業が定着していった。まさにそれは、ひとつの技術革新だった。

だがそのことによって、農業や農村に新しい価値が創造されることはなかった。大型食品スーパーなどに価格決定権を握られ、まるで市場の下請け業者のような農業が展開してしまった。技術革新はあっても、イノベーションはなかったのである。

この点では、むしろ今日の方がイノベーションが進行している。直売所をつくったり産直をはじめたりする動きは、農業と小売り・サービス業の結合であり、異なる物を結合させて新しい価値を創造する試みでもあるからである。農業とツーリズムを結合させてアグリツーリズムを生み出し、農業や農村の新しい価値を創造する動きなども、現在では各地でみられるようになった。

農業でもイノベーションという言葉が使われるようになった頃、林業でもイノベーションが必要だと考える人たちが生まれていた。ただし、ここでもその意味は技術革新だった。試験的には田植え機を無骨にしたような感じの植栽機もつくられたが、急斜面の日本の山を動けるようなものではなかった。定着したのはチェーンソー、刈り払い機くらいのもので、後は枝打ちロボットが少し使われた程度だった。ただしこの点でいえば、この二〇年くらいの間に、林業の機械化はかなりすすみはじめた。いまでは多くの現場で林業用大型機械が使われている。

しかしこれらもまた、技術革新ではあっても、イノベーションではなかった。なぜなら作業を効率化させただけで、新しい価値が生まれていないからである。とすると、林業や森林管理のイノベーションとはどうすることなのだろうか。

異質な人々との結合ということでは、森林ボランティア的な都市市民との結合や森の幼稚園的な利用、環境団体への森の開放などの試みもおこなわれてきた。最近では、キャンプ場として森を使えるようにする動きも生まれている。

それらは森林管理の多様性を創造するという点では新しい試みだが、そのことによって新しい森の価値や山村の価値がつくりだされたのかといえば、イノベーションといえるだけのものは生み出していないのかもしれない。

私にはそれでよいのだという感覚もある。なぜなら自然はイノベーションなど起こさないからである。それなら自然への依存度が強い林業や森林管理においては、人間によるささやかなイノベーション以上のものは、つくりだしえないのだろう。とすると私たちの課題は、イノベーションを起こしえないものの価値を再認識することの方にあるのかもしれない。

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※本記事は、「山林」(大日本山林会 発行)にて連載中のコラム
 「山里紀行」より第358回『イノベーション』より引用しています。
(2021年3月発行号掲載)
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プロフィール

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

森づくりフォーラム代表理事
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。

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